FIREはあきらめた
「労働は悪」「働きたくない」ということを言い続けてた。
FIRE・早期リタイアの試算をかなり楽観的にしてみたが、心惹かれなかった。 収入が途絶えることのリスクに耐えられそうにない。さらに、その状態を停滞・退屈と感じてしまう。
そもそもこれまでずっと労働し続けているのだし、仕事が嫌いではないのだろう。働きたくないなら働かなければいいのにその選択肢をとってないのは、何か言語化できていない前提があるのだろう。
言動と行動が矛盾しているなら、行動のほうが信頼できる。「働きたくない」というのはあくまで近似的な気持ちであって答えではない。
あらためて考えると、俺は仕事を楽しんでいる。
人生には目的があった方が楽しいし、達成感とか給与といった報酬を得られるのも心地がいい。緊張と弛緩、常習性があってもおかしくない。
仕事をしていれば来年は今年よりもいいものになるって信じていられるのもいい。現状にはすぐ慣れてしまうので、環境が更新されづつけれないと幸せを実感できない。
FIREができないなら、仕事を楽しむしかない。
「働いたら負け」と同じくらいの頻度で「仕事にやりがいはいらない、給与さえあればいい」と言っていたが、それも不正確だった。両方必要だった。
あるいは仕事を楽しみつつ、xxxも全力でやる、みたいな道もあるかもしれない。
いずれにせよ欲しいものを意識しつつ貪欲に生きていくしかない。足るを知るの対極にある気がするが、これまもうしょうがない。